中世ヨーロッパでは、教会や修道院を中心に僧院医学と呼ばれる
薬草中心の医学が行われていた。
しかし、中世半ばを過ぎる頃には都市が現れ始めたため、
次第に職業としての医師が必要とされるようになった。
イタリアのナポリから60kmほど南の港町サレルノは、
ヒポクラテスの町と呼ばれるほど、医学で有名だった。
文化的には、ギリシャ、ローマ、アラビア、ユダヤの4つの
文化が認められ、多くの文化圏からその知識を吸収することが
できた。
10世紀末には、医学を教える施設が創られており、4文化圏
出身の教師たちによってそれぞれの進んだ考え方が教えられた。
『サレルノ養生訓」などの著作は、ヨーロッパ全土にもたらされ
サレルノ医科大学のカリキュラムは中世の多くの大学が範と
するほどだった。
1140年に、この地の領主シチリア王によって、医師の
国家免許ともいえる制度が始められた。