予防医学の歴史7(日本)
日本における医学は、オランダ医学と古代中国の医学であった。
予防医学の分野では、貝原益軒が記した健康維持のための
教育書「養生訓」が有名。
1858年に東京・神田に種痘所が設立されて市民に種痘が行われ、
後に東京大学医学部となった。
明治維新により1873年、医務局が設置され、西洋医の養成が
始まり、1875年には医務・薬務・公衆衛生については衛生局
の所管となった。
Pettenkoferのもとで学んだ諸方正規は、その東京大学で初の
衛生学教室教授となり、医学教育を行った。
同じくPettenkoferのもとで学んだ坪井次郎(1962~1903)、
1897年に創設された京都帝国大学医学部の初代学長と
なり、衛生学講座を開設した。
他に森林太郎(鴎外)もPettenkoferに師事している。
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●貝原益軒(1630~1714)
1713年、「養生訓」
・1858年(江戸時代末期)、江戸市民に種痘が行われた
●緒方正規(1853~1919)
Pettenkoferのもとに留学
1884年、東京大学に初めて開設された衛生学教室の
初代教授となる
(予防医学テキスト)