古代ローマの博物誌家であったプリニウス(Gaius Plinius Secundus)
(23~79)は、大自然すべての生態に興味を抱き、77年
『博物誌』全37巻を著した。
*(甥に文人で政治家のガイウス・プリニウス・カエキリウス・
セクンドゥス(小プリニウス、62~114)がおり、養子としている。
小プリニウスと区別するため、こちらは「大プリニウス」と呼ばれる)
他の誰もが成しえなかった大規模な自然誌で、植物に寄せる彼の
愛情や、質実剛健な古きよき農業国ローマの伝統が賛美される
大作。
今なおこの作品は読み続けられている。
大プリニウスは、地中海艦隊の司令官として南イタリアのミセヌムに
いたとき、ヴェスヴィオ火山の噴火を目撃した。
彼は救助活動のため艦隊を率いてポンペイへ向かったが、
その途上で没した。
病いによるのではなく、火山の観察を続けるうちに避難が遅れて、
噴火による火山性ガスに巻き込まれたと言われている。